早瀬第一堡塁砲台(広島湾要塞)
広島湾要塞の一つで倉橋島にあります。
1899年(明治32年)10月着工
1901年(明治34年)3月竣工
備砲は未配備(28センチ榴弾砲6門を予定)

元々軍道だった山道を登っていくと門柱が1本だけ残されています。
これより奥が砲台跡です。

兵舎は広島湾要塞に多い石造りです。

内部も草木に浸食されて自然に還りつつあります。

レンガ造のトイレ跡


280mm榴弾砲が備え付けられる予定だった砲床
レンガ造りの砲台が多いのですがこちらは石造りですね。

弾薬支庫だと思われます。

内部は意外と小さい。

第一砲台の奥です。
正面の山を登れば観測所
右へ行けば第二砲台

この砲台跡には戦後居住されていた方がいたようで住居跡が残ってます。
住民の方が使用されていた車も敷地内に残っているので、昔は車の通れる道があったようです。
現在は人が歩くのもやっとの獣道しか残ってないのでちょっと驚きですね。
それよりもこんな辺鄙な場所に住もうと思った人間に驚きます。
きっと普通の人ではなかったんでしょう(笑)
1899年(明治32年)10月着工
1901年(明治34年)3月竣工
備砲は未配備(28センチ榴弾砲6門を予定)

元々軍道だった山道を登っていくと門柱が1本だけ残されています。
これより奥が砲台跡です。

兵舎は広島湾要塞に多い石造りです。

内部も草木に浸食されて自然に還りつつあります。

レンガ造のトイレ跡


280mm榴弾砲が備え付けられる予定だった砲床
レンガ造りの砲台が多いのですがこちらは石造りですね。

弾薬支庫だと思われます。

内部は意外と小さい。

第一砲台の奥です。
正面の山を登れば観測所
右へ行けば第二砲台

この砲台跡には戦後居住されていた方がいたようで住居跡が残ってます。
住民の方が使用されていた車も敷地内に残っているので、昔は車の通れる道があったようです。
現在は人が歩くのもやっとの獣道しか残ってないのでちょっと驚きですね。
それよりもこんな辺鄙な場所に住もうと思った人間に驚きます。
きっと普通の人ではなかったんでしょう(笑)
- 関連記事
スポンサーサイト